物語 ウクライナ史1

最近のウクライナ情勢、気になりますね。

なぜロシアはウクライナに侵攻したのか?

何か因縁めいたものがあるのかな?

そう!

その因縁は歴史を遡ると見えてくる。

簡単に言うと

ウクライナは、自国のことを

1000年の歴史がある伝統国家だと主張している。

一方でロシア側はウクライナ地域をどう思っているのか?

というと

歴史的に見てロシアの一部でしょ!

という見解。

ロシアから離れていこうとする

ウクライナが我慢ならないんだ。

今起こっていることを

理解するためにも

ウクライナとロシアの関係を

歴史的に見て行こう!

お願いします。

ウクライナ地域において」、歴史文献上

最初に登場する民族が

「キンメリア人」

紀元前1500年前〜全700年頃、

黒海北岸に居住し遊牧生活を送っていて、

鉄を使用していたことがわかっている。

その後この地には

「スキタイ人」や

「サルマタイ人」など

諸民族が相次いでこの地に侵入、支配した。

様々な文化を持った民族が入れ替わってるんですね。

今のウクライナの起源にあたる民族とか国とかって

あるのかな?

もちろん!

キエフ・ルーシ公国だ。

中世ヨーロッパに燦然と輝く大国だったんだ。

主な構成民族は西からやって来た

スラブ民族なんだ。

今のロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人の

ご先祖様にあたる。

燦然と輝くって、かっこいい響きですね。

歌の歌詞にでてきそうだよね。

紀元6世紀頃、スラブ民族の一派でポリャーネ氏族が

キエフの町を作った。

時は流れて

北欧では一大勢力を誇ったヴァイキングの時代を

迎えると、

そのヴァイキング一派のルーシー族の首長、

リューリクが

ノブゴロド地域(現ロシア領でフィンランドとかバルト三国に

近い)にやって来て国家を樹立。(862年)

二代目のオレフ公が南下を進め、首都をキエフに移し、

広大な土地(モスクワを含む)を支配下に置いた。

これがキエフ・ルーシ公国の始まりなんだ」。

キエフやモスクワには同じスラブ民族がいて

キエフ・ルーシ公国が統治していたなら、

ロシアとウクライナは兄弟みたいじゃない?

もっと仲良くしても良さそうだけど。

1240年

モンゴル帝国が首都キエフを落とし、キエフ・ルーシ公国が滅亡。

その後の両者の歴史的な関係を見ると

良好とは言えないんだ。

ロシア側では、キエフ・ルーシ公国滅亡後、その構成国であった

モスクワ公国が断絶することなく存続し、

ロシア帝国、ソ連へと発展。

その過程で

ウクライナ地域を一部全部支配下に置いたと主張している。

一方でウクライナ側は、キエフ・ルーシ公国滅亡後も

1世紀に渡り、西ウクライナ地域で栄えた

ハーリチ・ヴォルイニ公国に

政治・文化は継承されたと主張している。

キエフ・ルーシ公国からのモスクワ公国への

継承は否定しているんだ。

ハーリチ・ヴォルイニ公国が1世紀続いたあと、

どうなったの?

1340年代に入り、

モンゴル帝国の支配が弱まり

勢力をもったリトアニアとポーランドに

併合されてしまった。

ウクライナの東側はモスクワ公国が

支配下に置いた。

17世紀半ばに

「コサック」

が中心勢力」になるまでの300年間、

ウクライナの地には

ウクライナ独自の政治権力は存在しなかったんだ。

キエフ・ルーシ公国が滅亡後

ずっと分断・・・。

気が遠くなる。

疲れたでしょうから

一休みしましょう。

続きは明日ですね。

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